中学3年の春、ホームステイでカリフォルニア州サンノゼ(San Jose)へ行った。
1992年、だったと思う。
ホームステイと云っても、学校のプログラムで僅か1週間ほど。残り1週間で適当にサンフランシスコやロスを巡って還ってくる、2週間ほどの滞在で、英語が喋れるようになどなる筈が無かったけれど、アメリカにだけは見事にかぶれて還ってきた。
サンノゼはサンフランシスコの衛星都市にあたる郊外の街で(とはいえ100万近い人口がある)、当時パソコンも持っていなければビル・ゲイツの存在も知らない田舎の中学生には何の関係も無かったが、所謂シリコンバレーの中核都市である。
僕のホストファミリーになってくれたのはユダヤ系大学教授の家で、僕と同い年の男の子が居た。
今思うと、彼は完全な「オタク」だったのだろう。小太りで内気、メガネ、天然パーマ。
アメリカ人といえば3食ハンバーガーの底抜けに陽気な人たち、と勝手にイメージを抱いていた僕は、自分より小さな子が目を輝かせながら「一緒にスーパーニンテンドーをプレイしようよ!」と空港に登場したのを見たとき、少からずカルチャーショックを受けたことを覚えている。
なんといっても中学3年生である。真面目に勉学に励んでいる子でも漸く現在完了を使えるようになるぐらいの英語力で、会話が弾むはずが無かった。虎の子の「ホームステイ・マニュアル」なる小冊子を握り締め、マニュアル通りに「君の通ってる学校が見てみたいな」 「一緒にバスケットボールをやらないか」などと話しかけてみるものの、バスケットボールは苦手だとツレナイ返事。
学校に至ってはどうも苛められているらしく、結局頑として首を縦に振らず、放っておけば滞在中ずっと引きこもりの息子と家でシューティングゲームをやらされそうな気配が漂う始末。マジな話、「ホストファミリーの息子が引きこもりだった場合の心のケア」もマニュアル項目に加えておいて欲しいと思ったものだ。
ところが、八方塞がりになった僕が、せめて会話のキッカケになればとスーツケースから取り出したNIRVANAのTシャツがミラクルを生む。「ロック聴かねえの?俺NIRVANAとかMETALLICAとか好きなんだけど」という切り出しに喰いついてきたのは、引きこもりの息子ではなく大学教授の親父。
「お前グランジ好きなのか!週末一緒にシスコでSOUNDGARDENのライブに行こうじゃないか!」
まさかの展開。大学の生徒からJANE'S ADDICTIONを薦められて以来すっかりオルタナに嵌ったという親父と意気投合した(といってもバンド名をただ言い合うだけだけれど)僕は、初ライブが海外、サンフランシスコのナントカシアターというオチで生クリス・コーネルを見ることに。
大音量と人の多さに度肝を抜かれる僕の横で「Fxxkin' Cooool!!!!」と叫ぶ親父(教授)は、僕が夢に見たステレオタイプなアメリカ人そのものだった。ちなみにその日、息子は「人ごみが苦手」という理由で、家でゲームをしながら待っていた。
そして、帰宅して興奮冷めやらぬ親父が「いいか、KEN。シスコはロック・シティなんだ。覚えとけよ」と言いながら聴かせてくれた数々の「サンフランシスコにまつわるロック・ソング」のうちの1曲が、表題にしたSTARSHIPの"We Built This City"。「シスコはロック・シティ」という身も蓋も無い邦題を持つ、1985年の全米No.1ヒットだ。
先日『ベストヒットUSA』でこの曲のビデオクリップが流れているのを偶然目にして、突然この曲の思い出を書きたくなったのだけれど、随分前置きが長くなってしまった。
衝撃だった。陳腐な表現だが、本当に衝撃的な楽曲だった。
1985年といえば僕が小学校2年生だから、勿論リアルタイムとは程遠い楽曲である。それ以前の問題として、1990年から音楽を聴き始めてグランジやメタル、パンクあたりにのめり込んだ僕は、80年代ロック自体を聴いたのが初めてだった。
「コーラス」といえば、ギャグみたいな話だけれどALICE IN CHAINSの、あの不機嫌で不揃いなコーラスワークが僕の世界の全てだったのだ。男性と女性のハイトーンツインボーカルが歌い上げる、7年前の時代遅れなロック、「グランジが駆逐した全て」と云っても良いその産業ロックを聴いて、「こんなキラキラしたロックは聴いたことがない!新しい!」と思ったのだから、グランジ小僧が聞いて呆れる。
その瞬間、僕はオルタナティヴの教科書が匙を投げるロック史不適応者になってしまった。
帰国してすぐ"We Built This City"収録のアルバム『Knee Deep In Hoopla』を買いに走った僕は、この曲が硬派なロック・ファンの間では余り評判が良くない曲であると知ることになる。
ただでさえ数年前までの熱狂が嘘のように「終わった」「産業ロックばかり」と吐き捨てられることが多かった80'sロックの中で、JEFFERSON AIRPLANE〜JEFFERSON STARSHIPと名前を変え続けたベテラン・バンドがポップに大変身して放ったこのヒットは「売れ線に転んだ」楽曲として酷評されていた。
先日の『ベストヒットUSA』で小林克也氏も同じことを言っていたが、何かの雑誌で「編集者が選ぶロック史に残るワースト・ソング」に選出されたこともあったらしい。
80年代にはきっと多くの雑誌が彼らを表紙にしてお金を稼いだのだろうが、少なくとも1992年の段階で「STARSHIPの"シスコはロック・シティ"が好きだ」と発言することは、頭デッカチなロック・ファンにとって、全くクールなことでは無かった。
80年代はキーボードを使った産業ロックばかりでウンザリだったぜ。それに替わる新しいロックだから「オルタナティヴ」ロック。リアルな音楽が聴けなかった皆の不満を代弁する音楽だ。
バカ言ってんじゃねえよ。
グランジを経由して80sロックに目覚めた田舎小僧はそう思った。いや、今でもそう思う。
初めてSOUNDGARDENを見た次の日、興奮冷め遣らぬ僕を、教授はゴールデン・ゲート・ブリッジへ連れて行ってくれた。車の中でJOURNEYの"Lights(これもサンフランシスコを歌った曲)"と"We Built This City"を繰り返し流しながら。
この街とロックが好きでしょうがないんだよって感じで"We Built This City On Rock N' Roll"と調子っぱずれな声で喚いてた教授の、あの笑顔に産業もオルタナティヴも売れ線もクソもねえよ。
ちなみに、息子はこの日「車が嫌いだから」という理由で、家。言わずもがな。
その後、キラキラした音を求めて一通り80sを漁った後、ゴチャゴチャした音を求めてハードコアからメロデスまで、果てはテクノとJazzにまで手を出してCD保有枚数を5,000枚に膨らませたグランジ小僧(元はクラシックピアノを習ってたんでした、そういえば)は、「NIRVANAってのはメタル・ルネッサンスだったんだよ」と主張して妙なレビュウサイトを作ることに。
教科書的にどう感じるべきか、ではなく、少ない情報量ではあるけれど「実際この音楽はアメリカでどんなふうに受け入れられているのか」だとか、一般的に言われているのとは違う視点で90年代以降のロック史を自分なりに組み立てれば良いな、と思いながら細々続けています。『Knee Deep In Hoopla』の評判を聞いた、あの日の違和感そのままに。
そして、「最近じゃKillersが良いよね」と頻繁にメールを送ってくる教授と、「押井守は最高だ。KENも見たほうがいいよ」と稀にメールを送ってくる息子。彼らからのメールが受信箱に入っているのに気付いたら、開く前に僕は必ずこの曲をかけてからメールを読むことにしている。
" I'm looking out over that Golden Gate bridge
Out on another gorgeous sunny Saturday,
I've seen that bumper-to-bumper traffic "
" Here's your favorite radio station, in your favorite radio city
The city by the bay, the city that rocks, the city that never sleeps "
「歌詞に出てくる景色を今俺は見てる(土曜日じゃなく日曜日だったけど)!」
「ここがロックの街ですよ!」
と若々しくも痛々しい感動と共に瞼に刷り込んだあのゴールデン・ゲート・ブリッジの眺めを忘れない限り、多分僕はどんな訳のわからんムーヴメントが来てもロックを嫌いになったり飽きたりすることは無いんだろうなと思う。勿論、その音楽を聴いて感想を書く、という趣味も。
売れ線でチープで何の深みもない曲なのかも知れないけれど、個人的に最も思い出のある曲のひとつです。しばらくお休みをいただきましたけど、またコツコツ続けていきますので、今後とも末永くよろしくお願いします。以上、約2ヶ月ぶりに『時計仕掛けのグランジ』でした。
※お詫び
3 Doors Downのクロスレビュウは間違えて自分の書いた原稿にけいさんのレビュウを上書きしてしまったので、現在リライト中です。これが結構作業的に凹む。もうしばらくお待ちください。